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プロアクティブ 口コミの常識

様々なアウトロー達が安売り販売を仕掛けてきましたが、制度品メーカーの尽力で、これらをしのいできたのです。 海外からの圧力もあり、化粧品の再販は完全に撤廃されることになって、化粧品業界も新しい時代を迎えました。
昭和五〇年代後半に入ると、日本経済は高度成長の時代から成熟期の低成長の時代を迎え、化粧品業界もまた、高度成長から低成長の時代となりました。 その頃になると、制度品大手も拡大路線のツケがまわってきてブランド数が増え、流通在庫が拡大するなどの弊害が出てきました。
資生堂も一時期、この流通在庫の処分に専念する時期がありました。 制度品メーカーは低成長の時期になってもなお、堅調に売上を伸ばしてきました。
日本経済は低成長の時代に入っても、他の国々に比較するとまだ成長率は高い方でした。 日本の貿易黒字はさらに膨れ、特に米国に対する貿易黒字は巨額となり、大きな経済摩擦が生じました。
米国は対日本の貿易赤字の原因の一つとして、日本市場が閉鎖的で海外企業の参入の妨げになっていると主張してきました。 日米構造協議、化粧品流通もまた海外企業を締め出す構造になっていると、槍玉に挙げてきました。

化粧品の業界構造の中で特に注目されたのが再販制でした。 化粧品に再版制度の認められていることが海外企業の参入を阻害し、ひいては消費者に不利益を与えていると主張したのでした。
また制度品メーカーと安売り店との訴訟問題もありました。
特に有名なのが河内屋問題でした。 チェーン契約をしていた河内屋が制度品化粧品の値引き販売を始め、メーカーはその措置として出荷停止に踏み切りました。
その行為に河内屋がメーカーを訴えたのでした。 この河内屋裁判の決着を待たず、一九九七(平成九)年、一〇〇〇円以下の化粧品も再販商品から除外され、すべての化粧品の再販は法的に認められなくなりました。
再販撤廃前には、もともと、一〇〇一円以上の化粧品は再販対象外でしたから、各地で制度品化粧品の値引き販売が行われるようになりました。 イオングループはいち早く制度品化粧品の値引き販売を開始しました。
また、関西でも梅田ターミナルなどで値引き合戦が行われるなど、全国各地で化粧品の値引き販売が始まりました。 戦前、化粧品の乱売に疲弊した小売店を救うべく資生堂が制度品システムを築き、市場の安定化を図ったわけですが、ほぼ半世紀後、再販は撤廃され、再び化粧品乱売の時代に逆戻りしたのです。
資生堂は再販撤廃に対して新たなチェーンストア契約制度を発表しました。 制度品システムをさらに強固にする内容のものでした。
再販撤廃後も、資生堂は河内屋との訴訟をはじめ、いくつかのチューンストア契約を巡る係争が続いていましたが、二〇〇一(平成一二)年には、それらがほぼ終結しました。 その間には最高裁でカウンセリング販売の合理性が認められる判決。

が出たこと、河内屋問題も、事実上全面勝訴したことなどがありました。 そこで、資生堂は制度品システムをさらに強固なものにするべく、平成一二年に新しい取引契約制度を発表しました。
新しい取引契約の中には、アウトローによる安売り販売の原因である横流しを厳しく規制する内容も含まれています。 すなわち、チェーンストアによる「卸売販売の禁止」「通信販売の禁止」です。
また、支店のあるチェーンストアが本店一括仕入れをして累進リベートを多く稼ごうとする行為も禁じ、「店別契約」としました。 この契約制度導入にあたり、資生堂は取扱店全店の約二万一〇〇〇店に対して、POSレジ(資生堂レジ)を無償で導入しました。
全店導入でしたので実に約六〇億円もの投資でした。 POS導入の本来の目的は、メーカーがチェーンストアの店頭売上状況を随時把握できることで、そのデータを生産に活かし、製品の安定供給を図るというものです。
これによりサプライチェーン。 を築くことができます。
また、資生堂のPOSレジは、他社商品のレジ業務にも使われますので、チェーン店の自社への囲い込みもできます。 新しい契約の目玉は新リベート制です。
従来の、仕入れ量に応じて支払っていた最高一五%のリベートを17%に引き下げる代わりに、このPOSレジを導入すれば、無条件で17%のリベートを支払う、というものです。 さらに店頭売上目標の達成度に応じて、二%のアロウワンス。
を付与するというものでした。 また、チェーン店からの返品率が一定であれば、さらに二%付与するというものです。
POSレジの導入と新リベート制の狙いは、店頭販売の原点にチェーン店の目を向かわせようとするものですが、同時に仕入と店頭売上のバランスも監視でき、横流し店の防止にも効果があります。 さらに返品率の抑制もまた、過剰在庫を抑えて、横流しの動機を断ち切ることができます。
同時に、一部には横流しの一番の原因といわれていた自社の販社、営業社員によるチェーン店への安易な押し込みも止めさせることにつながります。 資生堂が発明した制度品システムは、今日の化粧品業界の流通の基盤となるものです。

この制度品システムは資生堂二代目社長M本昇氏一人で発案したものでありました。 M本は明治19年香川県に生まれ、高松商業、早稲田大学に進みました。
M本は百貨店経営に強くひかれ、早稲田大学を退学し、商業研究のため米国に渡りました。 米国では皿洗いや職工などで食いつなぎ、苦学の末、米国の近代商業を学び帰国しました。
帰国後は一時、三越に入社しましたが、残念ながらM本の活躍の場はなく、米国留学中に知り合った初代社長F原信三のすすめで資生堂に入社しました。 M本は、資生堂の支配人時代の大正12年、「資生堂連鎖店」を発案しました。
この契約は、問屋の地区別テリトリー制、保証金制度、資生堂製品の全品取扱い、および連鎖店以外の販売拒否、という内容でした。 M本が米国で学んだフランチャイズ制をアレンジしたものです。
問屋の地区別テリトリー制と連鎖店以外への販売拒否の条項により、当時の小売店の悩みであった乱売を抑制することができました。 また、事前に保証金を納めさせ、全製品を納入させる取引条件は、当時資金事情が悪かった資生堂にとっては大助かりの契約でした。
このM本の提案は化粧品、小売店からおおいに支持を受け、当初、200の加盟店数予想は震災後にもかかわらず、2000店舗にも達するほどでした。 直営店舗を2000店舗も持って、一挙にフランチャイズ店を2000も持つことは極めて困難です。
M本のアイデアは、自己資本に寄らずに自社統制の利く店舗を一挙に獲得するという、画期的なものでした。 この流通システムは、その後自動車業界、家電業界でもコピーされました。

つまりM本は、日本の流通システムを特徴付ける根幹となる仕組みを築いた人物なのです。 顧客の「自分自身で選んで買いたい」というセルフ志向を背景に、ドラッグストア台頭の追い風を受け、セルフ化粧品の売上が大きく伸びています。
顧客の「自分自身で選んで買いたい」というセルフ志向が高まり、セルフセレクションの業態店、セルフ対応商品が開発されてきました。 例えば、百貨店や専門店で化粧品を買うというと、ものまで買わされる」といった、「販売員に押し売りされる」というイメージがあるようです。